パチンコ自分史 

初パチから現時点までの私のパチキャリアです


年 代 出  来  事
1986年3月 高校卒業直後、初めてパチンコを打つ。羽根モノだったが、機種名は不明。
結果は3,000円程度の負けだったと思う。
1986年
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1994年
この9年間はパチンコとはパチプロが勝ち、素人は負けるように仕組まれていると信じていた。
パチンコ屋にお金を捨てに行くのはばかばかしいと思いほとんど打たなかったし、 たとえ打っても1回あたり3,000円程度の遊びと割り切っていた。
1995年 この年は、その後のパチライフに大きな影響を与える年となりました。

(1月)
たまたま読んだパチンコ必勝ガイドで、「ザ・名古屋2」の役モノ狙いの止め打ちの記事が目に留まり実践したところ、1週間連日勝ち続けた。 この頃からパチンコにハマる。
安田一彦プロとの対談の時に聞いた話では、止め打ち効果はそんなに高くはなかったそうです。偶然クセの良い台を打っていただけかも。←この部分は雑誌には非掲載)

(4月)
羽根モノをメインで打ち、財布の中身は減らなくなったが、どんな収支になっているのか明確にするためにノートに記録(投資・回収・収支のみ)を取るようになった。

(5月)
パチンコには攻略法があるのでは?と思い、「攻略君」を購入。(まだまだ青かった・・・)
主に打った機種は、『CR黄門ちゃま2』。
購入当初は奇跡的に勝ち続けたが、翌月は負け続け、「攻略君」の自己信頼度は0%になる。
 
(7月)
パチンコの理論を勉強するため、パチンコ必勝ガイドの「パチンコ必勝大学」を購入。
教材によりパチンコの基本理論と、おまけで付いてきた実機の釘を叩くことでどこの釘をどの向きに叩くとどの方向に流れていくのか、自分でやってみることで基本的な釘の見方を覚えた。
安田一彦著『パチンコ黙示録』、石橋達也著『食えるパチンコ』&『攻めるパチンコ』、故田山幸憲プロの“縦の比較・横の比較”の考え方の影響を強く受ける。

(12月)
年間収支はプラスになったが、1日あたり数万円が動くことで金銭感覚が麻痺していくのが怖くなり、パチンコをやめる決意をする。
1996年 (3月)
フラッと立ち寄ったV店で、大きくヘソの開いた『CR冒険島』を見て思わず打ってしまう。
(禁パチもわずか2ヶ月ちょっとでした)
この月から、現在の様式で回転数等の詳細な記録を取り始める

この頃は様々な営業形態が存在していたが、基本はラッキーナンバー制でポイントやパチンコ攻略マガジンに綴じ込みのクーポン券の使用で無制限で打てる店を選んで打った。
(パチンコ攻略マガジンは同じ号を数冊購入しました。)
また、『スーパーコンビSP』、『パチパチバンク』などの3回権利物が持ち玉遊技になれば激甘台に変貌することから、3回権利物をメインに打つようになる。

(6月)
 6月21日、これまでに蓄積したパチンコの記録をエクセルを用いて活用する目的でパソコン(三菱アプリコット)を購入する。


(7月)
W店の新台入替で、27回/Kの『プリティハート6』と出会う。
ライバルが不在で特定の台を連日打つことができたため、日毎に釘が悪くなることに比例して回転率が落ちていく状態を確認できた。
結果的に短期間で、プリティハート6に関しては釘を見るだけで回転率がほぼ分かるようになった。この年は「プリティハート6」を追いかけた。
1997年 序盤戦で24回/Kの『ミルキーバー』、中盤戦で25回/Kの『悟空伝説』を打てるという幸運に恵まれ、年間収支が初めて大台を越えた。
この年の9割をC店で打った。
1998年 序盤戦で『ミルキーバー』、中盤戦以降は『寿司大王6』を追いかけた。
この年の7割をS店で打った。

12月21日から27日の3日間で、数機種の累計で3152回転(確率分母の約12倍)という未曽有の大ハマリに遭遇する。
苦境に立たされた時、“勝つための基本を思い出せるもの”を手にしたいと思い、「勝つための方法論」を体系化したホームページを作成したいと考えはじめた。
12月下旬の特大ハマリを契機に、ホームページを立ち上げる決意を固めて作成を始める。
1999年 昨年末から作成していたホームページを1月6日に公開した。
ちなみに、開設日を1月6日を選んだ理由は風水でラッキーdayだったから。(^_^;)

序盤戦は諸事情によりパチンコを打てず、中盤は過去最大の大ハマリに遭遇。
終盤戦のマジカルランプで何とか盛り返した。
2000年 1999年と同じ理由で前半はパチンコを打てず、その直後はDAIDOの台で痛い目にあった。
終盤戦の『ミルキーバー』に助けられました。
2001年 3月後半から、あれだけ批判していた’99基準CR機をメインで打つようになる。
自己記録から、CR機でも数ヶ月単位で安定した結果を残せると確信する。
2002年 前半から中盤戦は’99基準CR機、後半戦から21世紀基準機をメインで打つ。
21世紀基準機では運にも押され、過去最高の結果を得た。
2003年 前半は21世紀基準機の新台中心、中盤は『CRブラボーファイブFJ』がメイン、終盤はスキップ機能搭載の新台を中心に打った。
2004年 スキップ機能搭載機を中心に打ったが、中盤戦で驚異的なドハマリ期間に遭遇。
終盤戦の『ニューマジカルランプ』で何とか盛り返した。
年間収支のプラス継続10年目の節目の年となった。
2005年 中盤戦までは『ニューマジカルランプ』等の手堅い機種を中心に打って予測通りの結果を残したものの、思わず手を出してしまったフルスペックの突確搭載機で痛い目に合う。
リーマンパチンカーが不安定要素の塊のフルスペック突確搭載機なんか打つもんじゃないと痛感する。
2006年 中盤戦までは『エヴァ2』や『冬ソナ』等のミドルスペック機を打ち、後半以降は羽根デジを中心に打つ。
2007年 たまにミドルスペックを打つくらいで、羽根デジメインの立ち回りでした。
2008年 年間を通せば羽根デジが中心でしたが、一時期禁断のMAXバトルを・・・。
『ジュラシックパーク』は当りすぎましたが、『北斗の拳』は驚異的な不ヅキの連続・・・。(+o+)
記録を眺めていると、やっぱりサラリーマンが打つべき機種ではないと確信しました。
まあ、それが実感できたのでヨシとするべきでしょう。
2009年 1〜2月は驚異的な展開の悪さで計-200Kという惨状・・・。
まさか年間プラス収支が途切れるのか・・・と心配したけど、終わってみれば落ち着くラインに落ち着きました。(^。^)y-.。o○
この年の教訓は「MAXタイプ以外なら、タイプに拘るべきではない」ことでした。
2010年 序盤戦は『CRぱちんこ華王美空ひばり極M9』、中盤戦は『CRシンデレラボーイ2KRX』、終盤は『CRミニオンゴット』を打った。
小技が改めてクローズアップされ始めた年だったと思う。
2011年 基本的に機種を問わず羽根デジ中心に打った。夏は大量導入されるも不人気だった『CR ayumi hamasaki 浜崎あゆみ物語 -序章-』が中心だった。
2012年  『CR牡丹と薔薇RR』と『CRぱちんこAKB48V8』で見事なまでの不ヅキを喰らう。前半戦は『CRA GI DREAM.RR2』を中心とした羽根デジ、中盤以降は羽根海系を中心に打った。
2013年 さて、どうなる2013年のパチンコ業界。
願うは世間の流れがからパチンコ業界だけが外れないことを祈るのみ。(-_-;)













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